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新潟地方裁判所長岡支部 昭和55年(ワ)228号 判決 1987年9月02日

原告

土屋春美

右法定代理人親権者父兼原告

土屋袈裟春

右同母兼原告

土屋惠子

右原告ら訴訟代理人弁護士

栃倉光

大塚勝

工藤和雄

中村洋二郎

中村周而

足立定夫

味岡申宰

被告

新潟県厚生農業協同組合連合会

右代表者理事

馬場伝平

右訴訟代理人弁護士

伴昭彦

饗庭忠男

主文

一  被告は、原告土屋春美に対して、一八〇九万七一三三円及びこれに対する昭和五二年三月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告土屋袈裟春及び同土屋惠子に対して、各二二〇万円及びこれに対する昭和五二年三月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

五  この判決は、第一及び第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告土屋春美に対して四四〇〇万円、同土屋袈裟春及び同土屋惠子に対して各五五〇万円並びに右各金員に対する昭和五二年三月二日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告土屋春美(以下「原告春美」という)は、同土屋袈裟春(以下「原告袈裟春」という)及び同土屋惠子(以下「原告惠子」という。なお原告袈裟春及び同惠子を「原告袈裟春夫婦」ということもある。)の長女である。

被告は、栃尾郷病院を経営し、医師木村隆志(以下「木村医師」という)を雇用して同病院産婦人科の医療業務に従事させているものである。

2  (原告春美の失明)

原告春美は、昭和五一年一〇月九日栃尾郷病院で在胎週数二八週で出生したが、生下時体重が一〇五〇グラムの未熟児であつたため、出生直後から昭和五二年一月三〇日まで保育器に収容され、その間の昭和五一年一一月一七日まで酸素の供給を受け、昭和五二年三月二日同病院を退院したが、同病院で保育されている間に未熟児網膜症(以下「本症」という)に罹患し、両眼の視力を完全に失つた。

3  (本症について)

本症は、未熟児のうち体重二〇〇〇グラム未満のものを一般に保育器に収容して、細菌感染を予防しつつ温度・湿度・空気中の酸素濃度を調節して保育する方法がとられるようになつてから、その発生が顕著になり注目されるに至つた疾病で、それは保育器中の酸素濃度が三〇パーセントを超える酸素を供給したり、高濃度から低濃度に急激に降下させ、又は、供給を急激に中止したり、長期間にわたつて酸素を供給したりすると保育器中の高濃度の酸素が未熟児の網膜に貧血血管の未発達を惹起し、後の相対的酸素欠乏状態に対する反応として血管の異常増殖をきたし、これが原因となつて失明に至るものである。

欧米において、本症が右のように酸素投与に基因することが明らかとされ、その発症を防止するために厳密な酸素管理が不可欠であることが指摘されて以来、我国においても多数の文献で右のことが紹介され、未熟児養育の一般的知識として医師の容易に知りうるところとなつていた。

4  (被告の過失)

(一) 全身管理義務違反

(1) 未熟児の生命を維持するために医療機関に求められていることは、絶えず児の全身状態を観察し、その症状に適切な治療をなす集中徹底した看護である。即ち、未熟児呼吸障害については、新生児は低酸素症に対する抵抗力が強く、一五ないし二〇分位の長い無呼吸状態でも生存可能であり、未熟児においてもかなり長時間の低酸素症に耐えうるから常に直ちに酸素を投与しなければならないものではない。また、保温により酸素消費量を少なくさせて気道を良好に保ち、十分な栄養を与えて全身状態をできるだけ良好に保たなければならない。チアノーゼを認める場合にもまず環境を調整し、保育器内の温度を徐々に上げるだけで回復することも珍らしくない。なお、回復しない場合には酸素を投与するが、児の症状にあわせてできるだけ低く保ち、呼吸障害やチアノーゼが消失すれば中止する。このように児の状態を絶えず監視し、児の状態に即した処置を採らなければならないのである。かかる集中看護体制は、未熟児の生命のみを救うだけでなく、児の目を守り、かつ脳や肺に対する酸素の毒性から児を守ることになる。

(2) しかるに、被告は、原告春美の全身状態に合わせることなく慢然と酸素を投与し、真に眼か生命かの選択の逡巡のうえ酸素を投与したのではなかつた。

(二) 酸素管理義務違反

(1) 前記のとおり、本症発生は投与した酸素に基因することから、未熟児を保育器に収容して酸素を投与する場合には、真に必要な場合、即ち、未熟児に明らかな呼吸障害或いは強度のチアノーゼがある場合に限つて酸素投与を開始すべきで、未熟児という理由で慢然と酸素を投与することは許されず、また右症状が治癒したならば、投与を継続すべきではない。そして、酸素投与の際には、酸素供給量の調整として、酸素濃度を濃度計により正確に把握しなければならず、また濃度の適切さや供給継続の可否を血中酸素分圧(PaO2)の測定によつて判断し、本症発生を未然に防止するよう注意を払う義務がある。

(2) しかるに、木村医師は、右義務を怠り、原告春美に対し長期かつ機械的にしかも一日中同量の酸素を投与した。木村医師の右のような酸素管理の義務違反により、原告春美は本症に罹患し、両眼を失明した。

(三) 眼底検査及び治療上の義務違反

(1)(イ) 本症の早期発見、早期治療のため、定期的に眼底検査を行う必要がある。また未熟児の眼底状態を早期に的確に把握して全身管理、酸素管理を適切ならしめ、発症を予防するためにも必要である。従つて担当の産科医或いは小児科医は自已の病院或いは他院の眼科医の協力を仰ぎ生後三か月位までは定期的に反覆して眼底検査をなすべき義務があり、これは保育器内で酸素投与中は勿論、投与中止後も一定期間なされなければならない。この定期的眼底検査の必要性は早くから指摘されており、昭和四三年当時において既に医学界の常識・常例となつていた。

(ロ) 被告の栃尾郷病院には新潟県長岡市中央綜合病院から医師大野晋(以下「大野医師」という)が週一回来院して眼の診療にあたつていたが、木村医師が原告春美の眼底検査を大野医師に依頼したのは昭和五二年一月中旬頃原告袈裟春から本症の心配がないかとの連絡を受けてからであり、その間木村医師は眼科の協力を仰ぐことを全くしなかつた。同月下旬頃原告春美は大野医師から検眼鏡による検査を受けたが、その際、白内障の疑い、本症の疑いありとの診断を受け、同年二月一八日木村医師の指示で新潟大学付属病院において診察を受けたが、既に手術をしても手遅れとの診断であつた。

右のとおり、木村医師は原告春美の本件治療当時本症発症の予防及び適切な治療を施すために定期的眼底検査を早期に実施しなければならないのにこれをせず、かつ、眼科的管理を怠り、その結果後述の治療の機会を失わせ、同原告に本症に罹患させ両眼を失明させた。

(2)(イ) 本症に罹患した場合の治療法には、(ⅰ)発症後直ちに酸素濃度の調整或いは酸素投与を中止することによつて自然寛解を促す、(ⅱ)ステロイドホルモンなどの投与によつて、それ以上の悪化を防止し、失明を防止する、(ⅲ)それでも進行が止まらなければ、光凝固術により失明を防止する、という方法がある。

ところで光凝固法は、天理よろず相談所病院眼科医永田誠(以下「永田医師」という)が本症活動期重症例をその比較的早期にとらえて眼底周辺部の異常網膜組織と過剰な新生血管を光凝固で破壊することにより病勢の頓挫をもたらし得る可能性があると考えて、昭和四二年本症二症例に光凝固の治療を行い成功したことにはじまり、昭和四四年に本症四症例に光凝固を行い、「本症は、適切な適応と実施時期をあやまたずに光凝固を加えることによつて殆ど確実に治癒し得るものであり、失明や高度の弱視を防止することができる確信をもつた」旨報告(臨眼二四巻五号)した後、各大学病院や総合病院で本症に光凝固を施す追試がなされ、いずれも有効であつた旨の報告がなされるに至つた。そして、昭和四九年度厚生省本症特別研究班による「未熟児網膜症の診断ならびに治療基準に関する研究報告」も「進行性の本症活動期病変が適切な時期に行われた光凝固あるいは冷凍凝固によつて治癒しうることが多くの研究者の経験から認められている」として、当時若干差異のあつた活動期病変の分類及び光凝固法の適期について永田医師らの提唱していたことをほとんど認め、光凝固の有効性について臨床的に確認済みであることを前提としているのであつて、既に昭和四九年以前に本症に対する光凝固の有効適切な治療法は確立していたのである。

(ロ) しかるに、木村医師は、前記(1)での眼底検査すら怠り、原告春美に光凝固等の治療の機会を与えず、失明に至らせた。

(四) 説明義務及び転院義務違反

(1) 酸素を投与された未熟児の担当医は酸素投与により本症発生の虞れがあること、万が一本症発症が発見されたならば、担当病院での治療方法、その限界、他院での治療方法、効果などについて未熟児の保護者に説明する義務があり、担当病院で治療を施すことができないならば、他病院へ転院して最高・最適の治療を受けさせる義務がある。

(2) しかるに、木村医師は、本症の治療について何んらの説明もせず、また、昭和五二年一月中旬実施された眼底検査において、大野医師は単に検眼鏡の検査だけで白内障の疑い、本症の疑いを診断できたが、木村医師は原告袈裟春らに対し白内障の疑いがある旨説明したにとどまり、本症の疑いについては何らの説明もしなかつた。

また、木村医師は、昭和五二年一月下旬には原告春美はすでに体重二〇〇〇グラムに達しており、この段階で転院させることも十分可能であつたし、これ以前の段階でも新潟大学眼科医の応援を求めることも可能であつたにも拘らず、右各義務を怠つた重大な過失がある。

(五) 被告自身の過失

被告の経営する栃尾郷病院は総合病院であり、未熟児の全体的有機的管理のために、産科、小児科及び眼科の協力体制を確立して自動的に眼科医が未熟児の眼底検査を可及的早期になしうる体制をとるべきである。

しかるに、被告は右義務を怠り、栃尾郷病院においては、三者の協力体制が不備であり、原告春美は入院中、小児科の診療を受けられず、眼科医の診療も昭和五二年一月下旬になつてはじめて受けるという有様であつた。

5  被告の責任

原告袈裟春及び同惠子は本人として、また原告春美の法定代理人として昭和五一年一〇月九日被告との間で、原告春美が科学的適正な診療設備及び構造を有しかつそのように管理されるべき栃尾郷病院で科学的かつ適正な看護並びに栄養を与えられ、健康体で退院できる旨の準委任契約をそれぞれ締結したところ、前記4のとおり、被告及び被告病院に勤務する医師の注意義務違反により原告春美に両眼失明の傷害を負わせた。従つて、被告は右契約上の債務不履行又は不法行為に基づき後記損害を原告らに賠償すべき義務がある。

6  原告らの損害

(一) 原告春美の損害(財産上及び精神上)

原告春美の逸失利益については後遺症一級相当であり、ライプニッツ方式では二八一八万六四三一円、新ホフマン方式では三二八四万七二九七円であり、また慰藉料については一五〇〇万円が相当であつて、逸失利益について右いずれの方式を採用しようと慰藉料額を加算すれば、四〇〇〇万円を超えるもので、従つて、四〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告袈裟春及び同惠子の損害

原告袈裟春及び同惠子は、同春美の両眼失明により著しい精神的苦痛を受け、これを慰藉するには少なくとも各五〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告らは、訴訟代理人らに対し、本件訴訟提起を依頼し、その報酬として前記各損害額の一〇パーセントに相当する金員を支払うことを約した。

7  結論

よつて、被告に対し、原告春美は四四〇〇万円、原告袈裟春及び同惠子は各五五〇万円並びにこれらに対する昭和五二年三月二日(退院日)から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因事実1及び2は認める。

2  同3につき、本症が血管の異常増殖に基因して失明に至る疾患であることは認めるが、その原因が高濃度の酸素投与にあることが明らかにされているとの主張は争う。本症の原因、病態、予防法及び治療法については、後記(反論)記載のとおりである。

3  同4は争う。

4  同5につき、原告袈裟春及び同惠子が本人として、また原告春美の法定代理人として昭和五一年一〇月九日被告との間で、原告春美の診療について準委任契約を締結したことは認めるが、その余は争う。

5  同6は争う。

三  反論

1  未熟児と網膜症について

未熟児のうちでも体重一五〇〇グラム以下の未熟児を極小未熟児といい、一般に六〇パーセント程度の死亡率があるといわれている。原告春美の生下時体重は一〇五〇グラムで、当時のレベルでは一〇〇〇グラム程度の体重では八〇パーセントの死亡率があり、残りの二〇パーセントの生存率でも脳その他に異常が残るといわれている。

そして、未熟児は母の胎内にいる期間が短いため、体の成熟度が十分でなく、体重が一〇〇〇グラム以下の場合には網膜症は殆んど一〇〇パーセント発症するともいわれている。胎児の網膜血管の発育は在胎期間六か月目から始まり、一〇か月目で終るが個体差があり、八か月位で完成する場合もあるが、六か月の胎児の網膜血管は一〇〇パーセント未熟であり、七か月では九〇パーセントが未熟である。未熟な網膜血管はその先端に原始的な間葉細胞があり、これが酸素に対して反応し、最も低い濃度(大気中の二〇パーセント)でも反応する。しかし、本症の原因は、胎生期の網膜血管に展開する非特殊性の病気であつて、他の外的要因は単なる引き金であり、その中に酸素も含まれているが、他の引き金も否定できない。例えば、幼若動物にステロイドだけを与えると発症する。

病変は、網膜血管が異常増殖を起し、それが硝子体の中に向つて進むため網膜を引張り、そのため網膜剥離を起し失明する。通常Ⅰ型とⅡ型に分け、Ⅰ型は眼球の外側(耳側)の網膜に病変の起るものをいい、Ⅱ型は未熟度が強いものに出るもので内側(鼻側)にも病変が発生するものであるが、この場合黄斑部にも病変が及ぶことになる。

なお、Ⅰ型とⅡ型の中間に混合型と呼ばれるものもある。

2  本症の予防法及び治療方法

(一) 本症を予防する方法の第一は、未熟児を生まないこと、第二に、生まれた未熟児については新生児施設があり専門医のいる病院へ速やかに送ることがよいとされているが、児の状態によつて限界がある。

(二) 本症の治療方法の一つとしてステロイド投与が考えられるが、現在一般に行われていない。ステロイドは血管からの滲出、出血を抑制する効果をもつが、その副作用は公知の事実で小児科的には全身的なデメリットが多すぎ、そのためステロイドは使用しないのが常識である。

(三) 治療方法としての光凝固について

(1) 光凝固法は、光を眼底に打ち込んで網膜の一部を焼き、瘢痕化することによつて網膜剥離を防ぐという方法で、成人の網膜剥離症などのために開発されたものである。これを未熟児の網膜に使用することは、未熟児の眼球が小さいこと、眼球が動くこと、瞳孔が開きにくいこと、殊に未熟性が強いと硝子体の中に胎生期の産物が多く、見えにくいこと、黄斑部を焼く危険が高いことなどから相当の熟練を要する困難な技術で、成人のそれを行つただけでは経験として不十分であつて、適当な指導者を得られなければ非常な危険があり、又この方法は、瘢痕を残すため、将来如何なる障害をもたらすかもわからない。

(2) そして、光凝固の効果については、現在著しい疑問が提出されている。本症に光凝固法を応用し、その有効性について発表したのは永田医師であるが、同医師の発表内容は自然治癒率の高いⅠ型が大部分であつて、急激に進行するⅡ型及び混合型についてではなかつたし、またコントロールスタディ(比較対照実験)も行われていなかつた。コントロールスタディは治療効果の評価法として疫学の一分野に属しており、その手法は臨床医学の知識と統計学の知識を二本の柱として成り立つているのに反し、経験主義は臨床医学の知識のみに頼り、統計学の知識を無視した方法論であつて、客観的判定法であるコントロールスタディに及ぶべくもなく、本症のごとく自然治癒率が九〇パーセントに近い場合にはなおさら慎重な客観的判定法が用いられなければならない。治験例が発表され、追試例が報告されても、それは直ちに有効性としての有意差を必ずしも反映するものではない。光凝固法は我国で用いられているが、光凝固法を治療法として実施していない米国と比較して五〇パーセントも失明率が高いという現象が生じている(一〇〇〇グラムの比較では、米国八パーセント、我国では一二・五パーセント)。

また、昭和四四年以前の本症による視覚障害児には光凝固をうけている例は一例もなかつたが、その後増加し、現在では、全てが光凝固をうけている。しかし東京都心身障害福祉センターには光凝固を受けたにも拘らず視覚障害児となつた例ばかりが収容されていることが指摘されている。このことも光凝固法の有効性の評価に大きな影響を与えている。

昭和五〇年に発表された原告ら主張の厚生省の研究報告も、本症の診断・治療について一応の基準は示されたものの、これはその時点における研究班員の平均的治療方針であり、これが真に妥当なものか否かについては今後の研究・検討課題であるとし、その後同研究班は、第一次報告ではⅡ型・混合型の診断・治療基準が確立していなかつたとして、昭和五七年にⅡ型について一応の診断・治療基準を示すに至つたが、有効性の評価まで定めたものではない。

このように、昭和四三年の永田医師の発表以来約一四年後の厚生省研究班の第二次報告に至る間、診断・治療の基準が確定していなかつたのであり、右第二次報告書も重症未熟児に対する緊急避難的な一応の方針ということであり、確定的なものではない。従つて、昭和四七年或いは昭和五〇年を基準として、それ以後光凝固法が一般臨床医の間に定着した具体的可能性のある治療法ということはできず、臨床医学の実践における一般医療水準に達していたとはいえない。

3  酸素管理上の過失について

原告春美は二八週で出生し、生下時体重一〇五〇グラムで、出生時すぐに産ぶ声が出るという状態ではなかつたため、直ちに保育器に収容して酸素供給をしなければならなかつた。出生後、原告春美は呼吸が止まつたりすることが屡々あり、また時には手を振るわしてケイレン様の症状を呈することもあり、酸素不足による脳性小児マヒの虞れを拭い去ることができなかつたが、木村医師は酸素濃度に関し、三〇パーセントを超えると危険であるということを知つていたので三〇パーセントを超える濃度の酸素を供給させたことは一度もなく、当初は三〇パーセント濃度の酸素供給を指示したが、その後は状況によつて二五パーセント又は三〇パーセントを指示した。原告春美は出生時及びその後の状況から考えて生存自体が極めて困難な容態であり、酸素供給は絶対不可欠であつた。右の状況にありながら、酸素濃度を調節し、酸素不足による脳障害や死亡の結果を防止し得たことは奇蹟的であり、従つて、木村医師に酸素管理義務違反はなかつた。

4  眼底検査及び治療法上の義務違反について

原告春美は、かなり長期にわたつて危険な状態が続いたため、眼底検査を実施することが困難であつた。通常成人でも数分程度の酸素供給停止で危険になることがあるが、肺胞も未熟でしかも無呼吸等の症状が屡々出ていた原告春美の場合、酸素濃度を三〇パーセントに保つていても、保育器を開けて二〇パーセントの空気と混合すればすぐ濃度が下がり、生命に危険が生ずる虞れがあつた。このような危険性に関する判断は担当医師の裁量に委されているところ、原告春美に眼底検査を実施することは危険を伴う虞れがあると判断したのである。従つて、木村医師に眼底検査義務違反はない。

また、本症に罹患した場合の治療法としてのステロイド投与は前記のとおり全身状態に悪影響を及ぼすためかえつて危険であり、光凝固法も前記のとおり治療効果に疑問が提起され確定した治療法とはなつておらず、しかも技術的に困難でかつ特別の装置も必要で眼科医であれば誰でもできるというものではない。従つて、木村医師に治療法上の義務違反があつたとはいえない。

5  説明義務及び転院義務違反について

木村医師は原告惠子に対し、同春美の助かる可能性は一割位と告げ、出生後一週間経過した頃、原告惠子から同春美の生命が助かるか否か尋ねられた際に、眼や脳に危険が及ぶ旨を説明しており、また原告春美の出生後の状態からして転院させることは不可能であつた。従つて、木村医師に説明及び転院義務違反はない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因事実1(当事者)、同2(原告春美の失明)及び同5の原告袈裟春及び同惠子が本人として、また原告春美の法定代理人として昭和五一年一〇月九日被告との間で、原告春美の診療について準委任契約を締結したことはいずれも当事者間に争いがない

二原告春美の失明に至る経緯

<証拠>によれば次の事実を認めることができる。

1  原告春美は昭和五一年一〇月九日午後二時三〇分母である同惠子の前期破水により在胎週数二八週、生下時体重一〇五〇グラムで出生した。出産時アプガール指数は一〇点で全体の状態は比較的良く、呼吸数は一分間に六六回(以下数字のみで示す)であつたがおおよそ規則的であつた。木村医師は原告春美を直ちに保育器へ収容することとし、保育器内温度(以下「器内温度」という)を三二度から三四度に、湿度を九〇パーセントに維持し、酸素濃度を三〇パーセント以下とし、飢餓時間を四八時間とする旨の指示を看護婦に与えた。

2  一〇月一〇日 呼吸数三五から七六、直腸温三三・八度から三五・三度、器内温度三二度、湿度八八パーセント、酸素二リットルで続行、一般状態特異なし、元気に泣く。

3  一〇月一一日 呼吸数三八から五四、直腸温三四・三度から三五・一度、器内温度三二度、湿度九〇パーセント、酸素濃度三〇パーセントで続行、呼吸時々不規則、手指足端に軽度のチアノーゼ、午前一一時三〇分から授乳開始で、初回に五パーセントブドウ糖(以下「糖水」という)三ミリリットル、午後二時からミルク二ミリリットルと糖水一ミリリットル(看護記録上二〇パーセント糖水の記載あるも証人荒木紀美子の証言により五パーセント糖水の記載違いと認める。以下同様)を授乳、木村医師は原告惠子に同春美の生存は一対九と告げる。

4  一〇月一二日 呼吸数三五から五四、直腸温三二・五度から三三・五度、器内温度三二度、湿度八三から八五パーセント、酸素濃度二五から三〇パーセント、一〇から一五秒無呼吸あり、ミルクを二ミリリットルから四ミリリットルに増量し糖水一ミリリットルを授乳。

5  一〇月一三日 呼吸数四〇から五一、直腸温三二度台から三三度、器内温度三一度から三二度、湿度八〇から八五パーセント、酸素濃度二八から三〇パーセント、無呼吸(+)、特変みられず、ミルク五ミリリットル、糖水一ミリリットル授乳

6  一〇月一四日 呼吸数四〇から五〇、直腸三二・九度から三六・八度(これは、器内温度を上げたことによる)、器内温度三一度から三四度、湿度八〇から九〇パーセント、酸素濃度三〇パーセント、呼吸時々無呼吸、チアノーゼ少しみられる、手足にチック様のしんせんあり、冷感のため器内温度を三四度に上げる。ミルク七ミリリットル、糖水一ミリリットルを授乳(五回)、ミルク五ミリリットル、糖水一ミリリットル(三回)、体重九〇〇グラム

7  一〇月一五日 呼吸数三八から四七、直腸温三四・二度から三四・五度、器内温度三二度、湿度八二から八六パーセント、酸素濃度二八から三〇パーセント、無呼吸(+)、チック(+)、ミルク七ミリリットル、糖水一ミリリットルを三時間毎に八回指示。

8  一〇月一六日 呼吸数四二から五〇、直腸温三三・八度から三五・四度、器内温度三二度、湿度八二パーセント、酸素濃度三〇パーセント、無呼吸(+)、チック(+)、その他一般状態変りなし、授乳量合計六九ミリリットル

9  一〇月一七日 呼吸数三四から五八、直腸温三三・六度から三三・七度、器内温度二九・五度から三一度、湿度不明、酸素濃度三〇パーセント、チアノーゼ、冷感(+)、時々無呼吸、木村医師原告春美の一般状態をみるも特に指示はない。授乳量五四ミリリットル

10  一〇月一八日 呼吸数三〇から五六、直腸温三三・八度から三四・三度、器内温度不明、湿度不明、酸素濃度三〇パーセント、呼吸不規則で無呼吸みられる。哺乳後腹部膨満みられる、授乳量五六ミリリットル

11  一〇月一九日 呼吸数三二から四二、直腸温三三・五度から三六度、器内温度三〇度、湿度不明、酸素濃度三〇パーセント、一般状態変りなし、授乳量六〇ミリリットル

12  一〇月二〇日 呼吸数三六から四四、直腸温三四・四度から三五度、器内温度三二度から三三・五度、湿度八五から九〇パーセント、酸素濃度三〇パーセント、午後二時四肢冷たく、器内温度を上げ、午後四時三〇分四肢暖かくなる。時々無呼吸みられる。体重八四〇グラム、授乳量六四ミリリットル

13  一〇月二一日 呼吸数二四から四二、直腸温三三・八度から三四・四度、器内温度三二度、湿度不明、酸素濃度三〇パーセント、一般状態変りないが、時折無呼吸と不整あり、授乳量六九ミリリットル

14  一〇月二二日 呼吸数三二(一回の測定のみで他は不明)、直腸温三三度台と思われるが不明、器内温度三二度、湿度八五パーセント、酸素濃度三〇パーセント、呼吸規則的の時もあるが、無呼吸も入る、チック(+)、授乳量七二ミリリットル

15  一〇月二三日 呼吸数三六から五六、直腸温三二・七度から三四・八度、器内温度三一・五度から三三度、湿度八四から八六パーセント、酸素濃度三〇パーセント、無呼吸時々、チック(+)体動活発、授乳量八二ミリリットル

16  一〇月二四日 呼吸数二八から五八、直腸温三四・四度から三四・七度、器内温度三二度から三三度、湿度八六から九〇パーセント、酸素濃度三〇パーセント、呼吸不規則、時々チアノーゼ出現、木村医師は原告春美の体温が低いためミルクの増量を考えていた。授乳量八〇ミリリットル

17  一〇月二五日呼吸数四二から五六、直腸温三四・三度から三四・五度、器内温度三二度、湿度不明、酸素濃度三〇パーセント、全体的に変りなし。チック残つている、授乳量八五ミリリットル

18  一〇月二六日 呼吸数三〇から四四、直腸温三四・三度から三四・四度、器内温度・湿度不明、酸素濃度三〇パーセント、全体的に変りなし、体重八三〇グラム、授乳量九三ミリリットル

19  一〇月二七日 呼吸数三〇から四〇、直腸温三五度から三六度、器内温度三三度から三四度、湿度八五から九二パーセント、酸素濃度三〇パーセント、一般状態変りなし、授乳量一〇一ミリリットル

20  一〇月二八日 呼吸数二九から五〇、直腸温三四・九度から三五・三度、器内温度三二・五度から三四度、湿度八〇から八二パーセント、本日午前一〇時から酸素濃度を二五パーセント以下とする。哺乳後無呼吸強まつたため、木村医師はミルク一二ミリリットルと糖水一ミリリットルを一日八回授乳させるよう指示していたのを午後二時三〇分よりミルク八ミリリットル。糖水一ミリリットルに減らし二時間毎授乳を指示、授乳量九八ミリリットル

21  一〇月二九日 呼吸数三〇から四二(二回測定のみ)、直腸温三四・九度から三五・四度、器内温度三二度、湿度八二パーセント、酸素濃度二三パーセント、ミルク投与後腹部膨満、呼吸促進のため五ミリリットルで中止、チアノーゼ(+)、チック様しんせん(+)、授乳量九三ミリリットル

22  一〇月三〇日 呼吸数二八から四二、直腸温三四・四度から三六・二度器内温度三二度から三三度、湿度七八から八〇パーセント、酸素濃度二四から二五パーセント、特に変りなし、授乳量九五ミリリットル

23  一〇月三一日 呼吸数三六から四二、直腸温三五度から三五・四度、器内温度三二度、湿度八〇パーセント、酸素濃度二七パーセント、呼吸規則的、腹部膨満(−)、授乳量一〇一・五ミリリットル

24  一一月一日 呼吸数三八から五〇、直腸温三四・八度から三五・一度、器内温度三三度から三四度、湿度八七から九〇パーセント、酸素濃度二五から二八パーセント、ミルク注入時嘔吐(+)、チック(+)、呼吸促進(+)、授乳量九五ミリリットル、体重九〇八グラム

25  一一月二日 呼吸数不明、直腸温三五・五度、器内温度三三度から三四度、湿度八四から九〇パーセント、酸素濃度二五から二六パーセント、一般状態変りないが、呼吸促進(+)、チック(+)あり。授乳量九七ミリリットル

26  一一月三日 呼吸数五二、皮膚温三六・二度、器内温度三三度、湿度不明、酸素濃度二五パーセント、特異なし、授乳量九七ミリリットル

27  一一月四日 呼吸数三〇から三四(二回測定のみ)、直腸温三四・二度から三五度、器内温度三三度、湿度八二パーセント、酸素濃度二五パーセント、四肢運動活発で特変なし、授乳量九五ミリリットル

28  一一月五日 呼吸数不明、直腸温三四・九度から三五・六度、器内温度、湿度、酸素濃度不明、ミルク注入後膨満みられ、呼吸促進あり、チアノーゼ(−)、その他特変なし、授乳量一〇三・五ミリリットル

29  一一月六日 呼吸数不明、直腸温三五・二度、器内温度三二度、湿度七八パーセント、酸素濃度不明、変りなし、授乳量八五・五ミリリットル

30  一一月七日 呼吸数不明、直腸温三四度台か、器内温度、湿度、酸素濃度不明、酸素を一旦とめて様子をみるも、呼吸促進、時々無呼吸あるため中止する。授乳量一〇四・五ミリリットル

31  一一月八日 呼吸数不明、直腸温三三・八度から三五度、器内温度三二度、湿度八〇から八五パーセント、酸素濃度二三から二五パーセント、一般状態変りなし、授乳量九六・五ミリリットル

32  一一月九日 呼吸数不明、直腸温三五・三度から三五・八度、器内温度三二度、湿度不明、酸素濃度二五パーセント、特に異常ないが、チック(+)、体重九五〇グラム、授乳量一一〇ミリリットル

33  一一月一〇日 呼吸数不明、直腸温三四・六度から三五・一度、器内温度三三度、湿度不明、酸素濃度二五パーセント、特に変りなし、授乳量一二〇ミリリットル

34  一一月一一日 呼吸数不明、直腸温三四・五度から三五・七度、器内温度三三度、湿度九〇パーセント、酸素濃度二五パーセント、四肢運動活発、授乳量六〇ミリリットル(六回)の記載のみ

35  一一月一二日 呼吸数不明、直腸温三四・六度から三五・二度、器内温度三三度から三三・五度、湿度九〇から九四パーセント、酸素濃度二三から二五パーセント、特に異常なし、授乳量一二〇ミリリットル

36  一一月一三日 呼吸数不明、直腸温三四・八度から三五・五度、器内温度三三度、湿度不明、酸素濃度二五パーセント、ミルク注入後軽い腹満みられるが、特に変りなし、授乳量一二〇ミリリットル

37  一一月一四日 呼吸数不明、直腸温三五・六度から三六・八度、器内温度三三度、湿度不明、酸素濃度二五パーセント、変りなし、授乳量九〇ミリリットル(九回の記載のみ)

38  一一月一五日 呼吸数不明、直腸温三五・五度から三六・二度、器内温度三三度、湿度七八から八〇パーセント、酸素濃度二三から二五パーセント、状態特異なし、授乳量一一二ミリリットル

39  一一月一六日 呼吸数不明、直腸温三五度から三五・一度、器内温度三三度、湿度不明、本日より昼間のみ酸素を中止する。夜再び二五パーセント濃度の酸素投与、一般状態変りなし、授乳量一二六ミリリットル、体重九五〇グラム

40  一一月一七日 呼吸数不明、直腸温三五・七度から三五・九度、昼間酸素中止しても特変なし、授乳量一〇二ミリリットル

41  一一月一八日 呼吸数不明、直腸温三五・五度から三五・八度、本日より夜も酸素投与を中止する。著変なし、授乳量一一五・五ミリリットル

42  一一月一九日 呼吸数四〇、直腸温三五・八度から三六・二度、器内温度三三・五度、湿度八〇パーセント、酸素投与中止していても元気良し、授乳量一一九・五ミリリットル

43  一一月二〇日 呼吸数不明、直腸温三六・一度から三六・三度、元気良く特異なし、授乳量一三〇・五ミリリットル、体重一〇〇〇グラム

44  一一月二一日 呼吸数不明、直腸温三五・一度、午前二時から時々無呼吸出現のため酸素濃度三〇パーセントの酸素三リットル投与し、午前一〇時一般状態良くなり酸素投与中止。以後時々無呼吸出現するもすぐ回復、授乳量八三ミリリットル

45  一一月二二日 呼吸数不明、直腸温三五度から三六・一度、チアノーゼ(+)、軽度の腹部膨満あり、無呼吸時々あり、授乳量一二二ミリリットル

46  一一月二三日 呼吸数不明、直腸温三五・四度から三六・八度、無呼吸(五から六秒)みられる、チック(+)、腹部膨満、授乳量一三二ミリリットル

47  一一月二四日から同月三〇日 呼吸数不明、直腸温三五度台から三六・二度(同月二五・二六日三三度台あり)、一般状態変りなし、授乳量も次第に増え(同月三〇日に一四四ミリリットル)、体重も増加(同月二五日一〇〇〇グラム、三〇日一〇二〇グラム)、なお、同月二八日試験的に乳首で授乳試みたところよく吸つた。

48  一二月一日から同月七日 呼吸数不明、直腸温三六度台維持、一般状態変りなし、授乳量も増加され(同月七日に一五六ミリリットル)、体重は同月七日一〇六〇グラム

なお、同月三日木村医師は原告春美の眼科受診を考えたが、時々無呼吸が来る状態で、保育器外に出すことは困難と判断して受診させていない。

49  一二月八日から同月一三日 呼吸数不明、直腸温三六度台維持(同月一一、一二、一三日に三七・二度まで上昇したことがある)、一般状態変りなく元気良い、同月八日に一〇秒位の無呼吸が出た。同月一三日体重一一五〇グラム

50  一二月一四日から同月三一日 体温もほぼ三六度台を維持(同月二八、三一日に三五度)、一般状態変りなく元気良く、経鼻カテーテルを度々抜く、同月二四日経口哺乳試みたところ抜群の吸引力、体重は同月二一日一二六〇グラム、二八日一三二〇グラム

木村医師は同月二〇日原告春美に呼吸促進、腹部膨満がみられるため眼科受診を来年もやむなしと考え、三〇日に来年には直接哺乳をして出来れば体重を一五〇〇グラム以上にし、早い時期に眼科受診を考慮する旨判断した。

51  昭和五二年一月一日から同月二五日 体温も三六度台から三七度を維持、同月四日時々過呼吸、腹部膨満、チック残つているが経過良好で特に異状なし。体重も同月七日一五〇〇グラムに達し、一〇日から経口哺乳となる。同月一九日木村医師は大野医師に原告春美の眼科診察を依頼するも十分な診察できず、翌週に診察することとなつた。

52  一月二六日 眼科受診、ミドリンPで原告春美の瞳を散瞳するも水晶体白濁で、眼底透見できなかつた。両眼・先天性白内障との診断で、未熟児網膜症か否かは判定できなかつた。

53  一月二七日から三月二日(退院) 体重も次第に増え、一月三一日に保育器を出てコットへ移された。ただ授乳中も目をあけないで飲んでいる。

二月二日原告袈裟春及び同惠子は大野医師と面会し、原告春美の眼の検査結果の説明を受け、未熟児網膜症の疑いがあるが、白内障である旨告げられ、新潟大学の眼科で検査を受けるよう指示を受けた。同月一八日原告袈裟春及び同惠子は同春美を連れて新潟大学の眼科へ行き診察を受けたが、手術をしても治る見込みがないと言われ、栃尾郷病院へ戻り、そして三月二日退院した。

54  六月一六日原告袈裟春及び同惠子は同春美を連れて都立駒沢病院眼科を訪れ同春美の眼の検査を受けた結果、両後水晶体線維増殖症との診断を受けた。そして、昭和五三年五月一五日原告春美は、新潟県知事から視覚障害、一級の身体障害の認定を受けた。

三本症について

<省略>によれば次の事実を認めることができる。

1  本症の概要

本症は、未熟児(生下時体重二五〇〇グラム以下の新生児)、特に生下時体重一五〇〇グラム以下、在胎週数三二週以下の極小未熟児に多く発生するもので、網膜の未熟性を素因として網膜新生血管の異常増殖のため網膜剥離を起こし、失明ないし強度の視力障害に至る疾患である。しかしながら、本症が発生しても自然治癒する場合が多く、自然治癒率は八〇ないし八五パーセントとされている。

2  本症の歴史

ボストンで未熟児を酸素保育器の中で管理することが始められて間もなく、一九四二年にテリーが、赤ん坊の眼で水晶体後面に血管を伴う灰白色の組織塊が付着して失明しているのを発見し、これをその臨床所見から後水晶体線維増殖症と命名した。その後、本症による失明児の数は急速に増加し、米国では乳幼児の失明の原因として第一位を占めるに至つた。テリーは本症を先天性疾患であると考えたが、一九四九年オーエンスが後天性疾患であることを明らかにしてから、その原因の究明が行われ、一九五一年オーストラリアのキャンベルがその原因として未熟児保育時の酸素過剰説を唱え、アッシュトン、パッツらの動物実験によつてこの説が裏付けられ、その後多くの疫学的研究によつて酸素過剰説が確認された。このように本症の発生に酸素が関係していることが明らかにされ、その後酸素の使用が厳しく制限されたことにより、本症の発生は急速に減少した。

一九六〇年、アベリ、オッペンハイマーは、酸素を自由に使用していた一九四四年から一九四八年の期間と一九五四年以後の酸素を厳しく制限してからの特発性呼吸窮迫症候群の死亡率を比較検討し、後者に死亡率の高いことを報告した。これによつて一九六〇年代の数年間において、未熟児の酸素療法に大きな変革がもたらされ、呼吸障害児には高濃度の酸素投与が行われるようになり、ここに再び本症の発生が問題になつてきた。一九六〇年アメリカの国立失明予防協会主催の未熟児に対する酸素療法検討会議において、(イ)酸素投与の基準、(ロ)酸素療法をうけた乳児の臨床的徴候、動脈PaO2値の測定、眼定所見との関連など、(ハ)環境酸素濃度看視装置の改善の必要性、(ニ)適切な観察がなし得ない場合の酸素使用に関する警告の必要性、(ホ)血管運動を支配する因子における基礎的研究の必要性などの問題がとり上げられ、その際、酸素療法をうけた未熟児は、すべて眼科医が検査し、生後二年までは定期的に眼底検査をうける必要性があることが強調された。

我国においては、未熟児の看護保育技術が遅れていたため、本症が問題とされるに至つたのは遅く、昭和三九年植村恭夫医師が未熟児の眼科的管理の必要性について警告して以来、次第に本症に対する関心がたかまり、眼科領域では、永田誠、塚原勇、馬嶋昭生らによつて次々と本症に関する研究が発表されるに至つた。

3  本症の発生原因・機序

網膜血管の発育は、在胎八か月で鼻側周辺まで、在胎九か月で耳側周辺まで達するが、未熟児で出生した場合には、網膜血管の発育が未熟なため網膜上に無血管帯が存在し、また網膜血管中の血液内の高濃度血中酸素が未熟な血管を収縮、閉塞させて循環障害を起こし、その周辺部に虚血状態が起こり、低酸素症状態となることから、酸素不足を補うため閉塞した網膜血管のすぐ横付近から新生血管が網膜上の無血管帯に異常増殖し、その新生血管により網膜の牽引剥離に至るものと考えられている。

未熟児の網膜に低酸素状態が起こるのは、網膜血管の発達の未熟性とともに網膜血管内血液の高濃度血中酸素によるものであつて、その誘引として酸素投与が挙げられているが、酸素投与を全くうけていない未熟児にも本症の発症例があることが指摘されており、本症の発生原因・機序についても完全に解明されてはいない。しかし、本症の発生に酸素が誘引となることについては異論がない。

4  本症の病態 臨床経過

本症の臨床経過等については、従来欧米の学者らが種々の分類を試みたが、我国では一般にオーエンスの分類法(本症の臨床経過を活動期、回復期、瘢痕期に分け、活動期を血管期、網膜期、初期増殖期、中等度増殖期、高度増殖期、瘢痕期を程度に応じⅠないしⅤ度に分類)が用いられていた。しかし眼底検査技術の発達により眼底病変の症状進行具合いをより正確に把握できるようになつたこと、本症の治療法として光・冷凍凝固法が登場するに伴い、その適応、限界を定めるうえで眼科医間でその病期が必ずしも一致していなかつたこと、本症研究の進展につれて従来の分類法にあてはまらない経過をたどつて剥離にいたる型の存在などが明らかになつたことから、本症の診断基準を統一することが要請され、昭和四九年に眼科、小児科、産婦人科関係の医師らにより構成された厚生省特別研究班により「未熟児網膜症の診断および治療基準に関する研究」が行われ、昭和五〇年右研究班による報告(以下「昭和五〇年厚生省報告」という)がなされた。その内容は以下のとおりである。

(一)  活動期の診断基準及び臨床経過の分類

臨床経過、予後の点より、本症をⅠ型とⅡ型に大別する。

(1) Ⅰ型

主として耳側周辺に増殖性変化を起こし、検眼鏡的に血管新生、境界線形成、硝子体内に滲出、増殖性変化を示し、牽引性剥離と段階的に進行する比較的緩徐な経過をとるものであり、自然治癒傾向の強い型のものである。

1期(血管新生期) 周辺ことに耳側周辺部に血管新生が出現し、それより周辺部は無血管帯領域で蒼白にみえる。後極部には変化がないが、軽度の血管の迂曲怒張を認める。

2期(境界線形成期) 周辺ことに耳側周辺部に血管新生領域とそれより周辺の無血管帯領域の境界部に境界線が明瞭に認められる。後極部には、血管の迂曲怒張を認める。

3期(硝子体内滲出と増殖期) 硝子体内への滲出と血管及びその支持組織の増殖が検眼鏡的に認められる時期であり、後極部にも血管の迂曲怒張を認める。硝子体出血を認めることもある。この3期を、前期、中期、後期に分ける意見がある。

4期(網膜剥離期) 明らかな牽引性網膜剥離の認められるものを網膜剥離期とし、耳側の限局性剥離から、全周剥離まで範囲にかかわらず、明らかな牽引剥離はこの期に含まれる。

なお、自然寛解は、Ⅰ型の2期までで停止した場合には、視力に影響を及ぼすような不可逆性変化を残すことはない。3期においても自然寛解は起こり、牽引乳頭に至らずに治癒するものがあるが、牽引乳頭、襞形成を残し弱視となるもの、頻度は少ないが剥離を起こし失明に至るものがある。

(2) Ⅱ型

主として極小低出生体重児に発症し、未熟性の強い眼に起こり、初発症状は血管新生が後極よりに起こり、耳側のみならず、鼻側にもみられることがあり、無血管領域は広く、その領域はヘイジイメディア(透光体混濁)で隠されていることが多い。後極部の血管の迂曲怒張も著明となり滲出性変化も起こり、Ⅰ型の如き段階的経過をとることも少なく、比較的急速に網膜剥離へと進む。

(3) 混合型

極めて少数ではあるが、Ⅰ型、Ⅱ型の混合型ともいえる型がある。

(4) 瘢痕期の診断基準と程度分類

1度 眼底後極部には著変がなく、周辺部に軽度の瘢痕性変化(色素沈着、網脈絡膜萎縮など)のみられるもので、視力は正常のものが大部分である。

2度 牽引乳頭を示すもので、網膜血管の耳側への牽引、黄斑部外方偏位、色素沈着、周辺部の不透明な白色組織塊などの所見を示す。黄斑部が健全な場合は、視力は良好であるが、黄斑部に病変が及んでいる場合は、種々の程度の視力障害を示すが、日常生活は視覚を利用して行うことが可能である。

3度 網膜襞形成を示すもので、鎌状剥離に類似し、隆起した網膜と器質化した硝子体膜が癒合し、これに血管がとりこまれ、襞を形成し周辺に向つて走り、周辺部の白色組織塊につながる。視力は〇・一以下で、弱視又は盲教育の対象となる。

4度 水晶体後部に白色の組織塊として瞳孔領よりみられるもので、視力障害は最も高度であり、盲教育の対象となる。

(二)  その後、右厚生省特別研究班は、「未熟児網膜症の分類(厚生省未熟児網膜症診断基準、昭和四九年度報告)の再検討について」と題する報告を昭和五七年に行い、その活動期の診断基準を再検討し、その一部を改正することとした。主たる改正点は次のとおりである。

(1) Ⅰ型について

(イ) 1期の名称を「網膜内血管新生期」と改称し、その説明を「周辺ことに耳側周辺部に、発育が完成していない網膜血管先端部の分岐過多(異常分岐)、異常な怒張、蛇行、走行異常などが出現し、それより周辺部には明らかな無血管領域が存在する。後極部には変化は認められない。」と改める。

(ロ) 2期の説明末尾の「認める。」を「認めることがある。」と改める。

(ハ) 3期の説明に「この3期は、初期、中期、後期の三段階に分ける。初期はごくわずかな硝子体への滲出、発芽を認めた場合、中期は明らかな硝子体への滲出、増殖性変化を認めた場合、後期は中期の所見に、牽引性変化が加わつた場合とする。」を付加する。

(ニ) 4期の名称を「部分的網膜剥離期」と改称し、その説明を「3期の所見に加え、部分的網膜剥離の出現を認めた場合。」と改める。

(ホ) 新たに「5期(全網膜剥離期) 網膜が全域にわたつて完全に剥離した場合。」を付加する。

(2) Ⅱ型について

Ⅱ型の説明を「主として極小低出生体重児の未熟性の強い眼に起こり、赤道部より後極側の領域で、全周にわたり未発達の血管先端領域に、異常吻合および走行異常、出血などがみられ、それより周辺は広い無血管領域が存在する。網膜血管は、血管帯の全域にわたり著明な蛇行怒張を示す。以上の所見を認めた場合、Ⅱ型の診断は確定的となる。進行とともに網膜血管の蛇行怒張はますます著明になり、出血、滲出性変化が強く起こり、Ⅰ型のごとき緩徐な段階的経過をとることなく、急速に網膜剥離へと進む。」と改める。

(3) 混合型を廃止して「中間型」と改める。

(4) Ⅰ型では、1期の網膜内血管新生が、生理的な範ちゆうに入るものか、病的かの区別は、よほど本症に経験があるものでないとつきにくい。従つて、発症率、自然治癒率を論じる場合には、2期以降の症例について行うこととする。

5  本症の治療法

本症の治療法として、当初は副腎皮質ホルモン剤の投与等の薬物療法が試みられていたが、その有効性はいずれも否定された。昭和四二年に永田医師が本症に対する治療法として光凝固法を適用して病勢を中断させて以降、次々と追試成功例が報告され、昭和四六年には山下由紀子医師らによつて、光凝固法と原理を同じくする冷凍凝固法による治療の成功例も報告されるようになり、進行性の本症活動期病変が適切な時期に行われた光凝固法あるいは冷凍凝固法によつて治癒しうることが多くの研究者の経験から認められている。しかしながら、昭和四五、六年ころⅡ型が発見されるに至り、今まで数多く施行され成功例として報告された症例が自然治癒傾向の強いⅠ型であつて、放置しても自然治癒した可能性のある症例に光凝固法を施行したにすぎないとの意見や、また光凝固法による人工瘢痕が施行をうけた患児の視力にどのような影響を与えるかを長期的に観察することを要するとする見解も有力となつた。そこで、光凝固法施行の行き過ぎの抑制並びにⅠ型とⅡ型に対する光・冷凍凝固法の適応性、施行時期等の区別を明らかにする治療基準の確立が要請され、昭和四九年の研究に基づく昭和五〇年厚生省報告により、現時点における治療の一応の基準が打ち出された。その基準は以下のとおりである。

(一)  治療の適応

Ⅰ型においてはその臨床経過が比較的緩徐であり、発症により段階的に進行する状態を検眼鏡的に追跡確認する時間的余裕があり、自然治癒傾向を示さない少数の重症例のみに選択的に治療を施行すべきであるが、Ⅱ型においては極小低出生体重児という全身条件に加えて網膜症が異常な速度で進行する為に治療の適期判定や治療の施行そのものにも困難を伴うことが多い。従つて、Ⅰ型においては、治療の不要な症例に行き過ぎた治療を施さないように慎重な配慮が必要であり、Ⅱ型においては、失明を防ぐために治療時期を失わぬよう適切迅速な対策が望まれる。

(二)  治療時期

Ⅰ型は自然治癒傾向が強く、2期までの病期中に治癒すると将来の視力に影響を及ぼすと考えられるような瘢痕を残さないので、2期までの病期のものに治療を行う必要はない。3期において更に進行の徴候が見られる時に初めて治療が問題になる。但し、3期に入つたものでも自然治癒する可能性は少なくないので進行の徴候が明らかでない時は治療に慎重であるべきである。この時期の進行傾向の確認には同一検者による規則的な経過観察が必要である。

Ⅱ型は血管新生期から突然網膜剥離を起こしてくることが多いのでⅠ型のように進行段階を確認しようとすると治療時期を失うおそれがあり、治療の決断を早期に下さなければならない。この型の網膜症は極小低出生体重児で未熟性の強い眼に起こるので、このような条件を備えた例では綿密な眼底検査を可及的早期より行うことが望ましい。無血管帯領域が広く全周に及ぶ症例で血管新生と滲出性変化が起こり始め、後極部血管の迂曲怒張が増強する徴候が見えた場合は直ちに治療を行うべきである。

(三)  治療の方法

治療は良好な全身管理のもとに行うことが望ましい。全身状態不良の際は生命の安全が治療に優先するのは当然である。

光凝固はⅠ型においては、無血管帯と血管帯との境界領域を重点的に凝固し、後極部付近は凝固すべきではない。無血管領域の広い場合には境界領域を凝固し、更にこれより周辺側の無血管領域に散発的に凝固を加えることもある。

Ⅱ型においては、無血管領域にも広く散発凝固を加えるが、この際後極部の保全に充分な注意が必要である。

冷凍凝固も凝固部位は光凝固に準ずるが、一個あたりの凝固面積が大きいことを考慮して行う。冷凍凝固に際しては倒像検眼鏡で氷球の発生状況を確認しつつ行う必要がある。

初回の治療後症状の軽快がみられない場合には、治療を繰返すこともありうる。又全身状態によつては数回に分割して治療せざるを得ないこともありうる。

混合型においては治療の適応、時期、方法をⅡ型に準じて行うことが多い。

(四)  なお右治療の基準は現時点における未熟児網膜症研究班員の平均的治療方針であるが、これらの治療方針が真に妥当なものか否かについては更に今後の研究をまつて検討する必要がある。

6  右治療法の評価

光凝固法は本症Ⅰ型に対しては自然治癒しない少数の進行性のものについて適期に、Ⅱ型に対してはできるだけ早期に施行されるべきであるとされている。その治療機序についての明確な解明は未だなされていないが、本症の治療には、適切な時期に行なわれた光凝固あるいは冷凍凝固により治癒しうることは多くの研究者の経験によつて知られている。しかし他方Ⅱ型については今日においても光凝固法を施行しても失明に至る例や視力障害以外の重複障害を高率に伴つているという報告がなされ、そのうえ、光凝固法は片眼凝固等による対照実験がなされておらず、前記のとおり光凝固法成功例の多くがⅠ型で自然治癒の強いものであって、自然治癒によるものか否かの判定が不可能であるとして、その有効性に疑問を呈する見解もあり、また凝固部位に形成される人工瘢痕が将来患児の視力に何らかの障害を与える可能性があり、可及的にその施行を抑制すべきであるとし、Ⅰ型についてはそのほとんどが自然治癒するので光凝固法を施行すべき例は少なく、Ⅱ型につては他の有効な治療法が確立するまでやむを得ない緊急避難的な治療としてその施行がなされるにとどまるであろうとして、光凝固法に対して批判的見解もある。

7  以上の事実を認めることができ、これによれば、本症の発症は網膜の未熟性を素因とし、酸素投与を一つの誘引として発症するものであること、本症の病態・臨床経過については昭和五〇年厚生省報告により一応の診断基準が定められたが、その後の研究の進展により右基準が改正・付加されてより詳細・具体的となつたこと(特にⅡ型については昭和五〇年厚生省報告後、森実秀子医師らによつて詳細な分類がなされた)、本症の治療法である光凝固法の奏功機序は未だ明確ではなく、光凝固法に対して評価を与えない見解もあるが、光凝固により治癒した経験例は多く、本症による失明を免れるためには現在においても有力な治療法であることは否定できない。

四被告の責任

1 医師の注意義務及び医療水準

医師は、人の生命及び身体の健康管理を目的とする医療行為に従事する者であり、医療契約に基づいて患者を診察、治療するにあたつては、その当時における医療水準にある専門的医学知識に基づいて、患者の生命及び健康に対する危険防止のため、患者の病状を十分に把握して最善の治療を尽すべき注意義務を負つているというべきで、これを怠り、患者の生命もしくは身体を害する結果を生じさせたときは、過失があるものとしてその結果に対する責任を負わなければならない。

また、医師が医療水準にある医療行為についてそれが自己の専門外に属し、自らは実施できないものであるか、又は自己の有する臨床経験ないし自己の持つ医療設備によつては患者にこれを施すことができない場合には、その医師としては他の熟練した専門医ないし高度の検査、治療設備を備えた他の医療機関へ報告・説明をしてその指導を仰ぐか、遅滞なく診療を依頼する等の措置を講ずるとともに、患者あるいはその家族にその旨を説明し、右医療行為を実施することが可能な医師を紹介し、もしくは患者を転医させて患者に右医療行為を受ける機会を与える義務があるというべきであつて、右義務を怠り、右医療行為が実施されていたとすれば、回避することができた結果が患者の生命もしくは身体に生じたときは、医師は当該結果について責任を負わなければならない。

ところで、医療水準とは、当該医療行為がなされた時期において、当該医師が置かれた社会的・地理的環境等を考慮して具体的に判断すべきであるが、急速に発達している医療分野において、しかも予防にしても治療にしても一〇〇パーセント予防・治療が可能ということが現実性に乏しい議論であることからすると、医療が可能ということが現実性に乏しい議論であることからすると、医療水準を奈辺に求めるかは極めて困難であるが、治療の効果と安全性が追試等において一応確認され、大学病院やその他の専門病院において最悪の結果を免れるために当該治療行為がなされている以上、その治療は医療水準にあるものと認めるのが相当である。

2  そこで、本件当時(昭和五一年一〇月から昭和五二年三月まで)、未熟児を扱う医療機関における医療水準について考察する。

<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  酸素管理

未熟児の身体を良好な状態に保ち、合併症、後遺症を予防するために、酸素管理(呼吸と循環の管理を含む)、体温管理、栄養管理等のいわゆる全身管理が重要である。そして、本症が酸素投与を受けた児に発生することが臨床経験により明らかとされているから、酸素管理は極めて重要である。

昭和四〇年代の初めころまでは、保育器内濃度を四〇パーセント以下にすれば本症の発症は防げると考えられていたが、酸素濃度を四〇パーセント以下に保つた場合や全く酸素を使用しない場合にも本症の発症例があることから、未熟児について呼吸障害ないしチアノーゼが認められるときは、児の脳障害の後遺症更には死亡を防止するため高濃度の酸素投与を継続する必要があるとしながらも、チアノーゼ等の症状に改善がみられる場合には、本症の発症を予防するため、酸素投与を漸減して行くべきであるとされていた。この他、本症の発症は環境酸素濃度よりも網膜の動脈血酸素分圧(PaO2)と相関し、これをを一〇〇mmHg以下に保つことが必要である報告がなされていたが、未熟児の動脈から採血することは感染の危険が大きく、しかも頻回の採血は困難であるという事情がありこれを実施している病院は少なく、昭和四九年山内逸郎医師は経皮的測定法によるPaO2値の開発をしたが、普及してはいない。従つて、本件当時においては、酸素投与の基準として保育器内濃度を四〇パーセント以下に保つこととされていた。

(二)  眼底検査

眼底検査は本症の発見、臨床経過診断のための唯一の検査方法であるが、昭和四三年に永田医師らが本症に対する光凝固法施行事例について報告して以降、その治療適期を判定するための定期的眼底検査の必要性が叫ばれ、眼科医において未熟児の出生後一ないし三か月の間に児の網膜周辺部の観察を行うべきであることが示され、これを実施する医師らが現われていたが、検査技術の困難性もあり、右検査方法が専門機関で広く行われるようになつたのは昭和四八、九年ころからであつた。そして、この眼底検査の必要性について、昭和五〇年厚生省報告で、「一八〇〇グラム以下の低出生体重児、在胎期間では三四週以前のものを主体とし、生後満三週以降において、定期的に眼底検査を施行し(一週一回)、三か月以降は隔週又は一か月に一回の頻度で六か月迄行う。発症を認めたら必要に応じ、隔日又は毎日眼底検査を施行し、その経過を観察する。瘢痕を残したものについては、殊に、1から3度のものは、晩期合併症を考慮しての長期にわたるフォローアップが必要である。」との基準が示された。

(三)  光凝固法等の治療法

永田医師が本症に対して光凝固を実施して有効であつた経験例を昭和四三年に発表し、昭和四四年以降各地の本症を扱う医療機関の眼科で右療法の追試が行われ始め、その成功例が文献にも発表され、昭和四七年以降本症の治療法として光凝固法は画期的なのであるとされ(なお、冷凍凝固法は前記山下医師らにより有効である旨の報告が昭和四七年に発表されている)、それを施行する医療機関も増えていつた。しかし、他方、本症は自然治癒例が多く、適期を慎重にすべきで、片眼凝固によるべきであるとの意見、昭和四五、六年以降、本症についての急速進行例が報告され、光凝固法によつてその病勢を阻止できない例があることが指摘されるなど、光凝固法等の治療基準の確立をみなかつたが、昭和五〇年厚生省報告は、光凝固あるいは冷凍凝固を適切に行うと治癒できることが多くの研究者の経験から認められているとして、前記のとおり治療基準を示し、以後、同報告に基づいて本症症例の報告がなされるに至つている。しかし、その後も、光凝固法等の治療は実験段階にあるとする見解もある。

(四)  栃尾郷病院の医療体制

栃尾郷病院は、地域の一般医療を担当するために設立された総合病院であるが、眼科には専任医師がいないため近くの長岡中央総合病院から大野医師が出張して診療に当つているが、眼底検査をする器械もなく、手術が必要なときは、長岡中央綜合病院へ転院させなければならない状態である。また栃尾郷病院には未熟児を転院させる際に必要な運搬用保育器も本件当時存在していなかつた。

しかし、栃尾郷病院からそれ程遠くない所に被告経営の長岡中央綜合病院があり、同病院では本件当時既に本症罹患者に対し大野医師により眼底検査、光凝固療法が施行され、また新潟市には新潟大学医学部眼科があつて、同病院においても、本件当時既に本症患者に対する眼底検査、光凝固法等の治療がなされており、木村医師は、これらのことを十分に知つており、本症発症が危惧されるような場合には、いつでも右各病院の専門担当医師に連絡して、指導、助言を求めることができた。

(五)  以上の事実が認められ、これによれば、本症発症予防のため全身管理・酸素管理が重要であることは昭和四〇年代において既に医師の一般的知見となつていたこと、また酸素管理の重要性から、未熟児に眼底検査を施行し、効果的とされる光凝固法等の治療の適期を判定するために、生後一定期間内における定期的眼底検査の必要性が強調され、適期に光凝固法等の治療を施行することによつて失明を免れるという多数の報告がなされていたが、これが有効な治療法として体系づけられたのは昭和五〇年厚生省報告においてであり、従つて、右時期をもつて本症を扱う医療機関において本症に対応する措置として定期的眼底検査、光凝固法等の治療を行うことが医療水準に達したものと認めるのが相当である。そして、木村医師も本症に対する対応措置を十分に知つていたのであるから、たとえ栃尾郷病院の設備に不備があつたとしても、そのことゆえに医療水準でなくなるということはない。

3  担当医師の過失

(一)  酸素管理・全身管理義務違反について

原告らは、木村医師が原告春美の全身状態に合わせることなく長期かつ機械的に慢然と酸素投与したことにより原告春美を本症に罹患させ、失明に至らせたと主張する。

前記二で認定したとおり、木村医師は原告春美の出生直後から同原告を保育器に収容し、その際保育器内酸素濃度を三〇パーセント以下にするように指示を出し、一〇月二八日午前零時から二五パーセント以下とする旨の指示をし、一一月一八日まで(同月一六日からは昼間のみ酸素投与を中止)酸素投与をした。

<証拠>によれば、木村医師は産婦人科の専門医であるが、未熟児を扱つた経験から、低出生体重児の場合には出生後直ちに保育器に収容し、酸素投与を開始するのが妥当だと考え、文献等により酸素濃度三〇パーセント以下を適正酸素流量と認識していたことから、原告春美の場合も本症の発生を危惧して酸素投与の早期打切りを考えたが、同原告の場合、低体温、無呼吸発作、震え(チック様しんせん)及びチアノーゼが出現するため、酸素中止による脳性小児麻痺或いは死亡を惧れ、酸素投与を継続したことが認められ、これによれば、本件当時、環境酸素濃度四〇パーセント以下を原則としていた水準からみると、木村医師が酸素濃度を三〇パーセント以下に維持していたことは、当時の医療水準に照らし相当であつたと言うことができる。

なお酸素投与期間について、木村医師が一一月一八日まで酸素投与を継続したことには疑問が残る。

しかし、酸素投与の要否、限界に関しては、医師の合理的な裁量に委ねられており、また、前述のとおり、酸素を全く投与しない場合にも本症が発症する場合があることから、原告春美に対する酸素投与期間を短縮したとしても本症発症を避けえたとまではいえない。

従つて、木村医師の酸素管理義務違反によつて原告春美が本症に罹患し、失明に至つたとの原告らの主張は採用できない。

また、一般的に未熟児の身体を良好な状態におくことが本症発症の予防に資することは認められる。しかし、全身管理義務を尽せば、本症の発症を防止できるとまでは断定できないから、仮に木村医師に全身管理義務違反があつたとしても、そのことから直ちに原告春美を本症に罹患させ失明に至らせたとまではいえない。

従つて、木村医師に全身管理義務違反があつたとの原告らの主張は採用できない。

(二) 眼底検査義務違反について

前記2(三)で認定したとおり、昭和五〇年厚生省報告により、本症発症に対する光凝固法等の治療を行うために生後満三週間経過後に定期的眼底検査を実施すべきことが明らかにされ、本件当時眼底検査義務は医療水準であつた。そして、前記二認定のとおり、木村医師は昭和五一年一二月三日に原告春美の眼科受診を考えたが時々無呼吸が発生するため保育器外に出すことが困難と考えて受診を断念し、同医師が原告春美の眼底検査を大野医師に依頼したのは昭和五二年一月一九日(生後一〇二日目)である。その日は原告春美の眼底検査は十分になされず、同月二六日(生後一〇九日目)に同原告の眼にミドリンPの散瞳薬を点眼して検査したが水晶体が白濁しており眼底透見は不可能で、先天性白内障と診断され、そして同年六月一八日後水晶体線維増殖症と診断された。証人大野晋の証言によれば、大野医師は被告の経営する長岡中央綜合病院から週一回栃尾郷病院に診察に出かけている眼科医で、本件当時まで一二、三例の未熟児の眼底検査を実施し、長岡中央綜合病院で本症に対して光凝固法を施行した経験(二、三例)を持つていたこと、同医師は産婦人科医或いは小児科医の依頼があれば、生後一か月後位から一週間に一回の割合で眼底検査を実施していたこと、眼底検査は保育器から出して行つた方が正確であるが、保育器内でも不十分ではあるが検査できること、同医師は原告春美の眼底検査時期についてもう少し依頼が早ければと思つたことを認めることができる。

以上の事実によれば、木村医師は眼底検査の必要性を知悉しながら原告春美の全身状態の判断に迷い、眼底検査依頼の時期が遅きに失したものということができ、早期に依頼がなされ眼底検査が実施されていたならばその臨床経過を観察でき、光凝固法の適期を判定できたものと認めることができる。

証人木村隆志は、原告春美の全身状態が悪く、保育器外に出せる状態ではなかつた旨供述するが、前記1で認定したように医師が判断を迷うような時には、他の熟練した専門医或いは医療設備の整つた医療機関に対し、自己の診断結果等を説明・報告してその助言を受け、適切な処置を施すべき義務があるところ、木村医師は本症の治療に経験を有する大野医師に問合わせるなどの善後策を講ずることもなく、眼底検査依頼時期を遅らせたものであつて、本件当時において本症発生に対し産婦人科・小児科・眼科間の連携が必要である旨強調されていたことも考えると、木村医師には医師として忠実に患者の治療をなすべき義務を尽さなかつた過失があるというべきである。

(三) 光凝固法施行義務違反について

前記2(四)で認定したとおり、昭和五〇年厚生省報告において本症に対し適期に光凝固法等の治療がなされれば失明に至ることを防止できることが示され、右治療は本件当時医療水準にあつた。そして、前記(二)で認定したとおり、原告春美が眼底検査を受けたときにはすでに水晶体は白濁で、光凝固法治療の適期を逸していた。原告春美の本症がⅠ型かⅡ型か或いは混合型(中間型)であるのかは不明であるが、いずれにしても適期に光凝固法等が施行されていたならば失明に至ることを防止できた可能性が強く、光凝固法等の治療を受ける機会を逸しさせた木村医師には注意義務違反の過失があり、右過失と原告春美の失明との間には相当因果関係があるというべきである。

4  被告が木村医師を雇用して患者の診療にあたらせていることは当事者間に争いがなく、従つて、被告は木村医師が原告春美に与えた傷害につき不法行為又は債務不履行に基づき、原告らに対して、原告らに生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

五損害

1  逸失利益

前記二で認定したところによれば、原告春美は両後水晶体線維増殖症との診断を受け、新潟県知事から一級の身体障害者の認定を受けたもので、将来にわたりその労働能力の一〇〇パーセントを喪失したものとみることができる。そして、一八歳から六七歳までの就労可能期間四九年間の得べかりし労働収入は、昭和五二年度賃金センサスによる全女子労働者の平均年間給与額一五二万二九〇〇円を基準として、原告春美の労働能力喪失による逸失利益の現価をライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除して算定すると次のとおり一一四九万七一三三円となる。

一五二万二九〇〇×(一九・二三九〇−一一・六八九五)=一一四九万七一三三

2  慰藉料

原告春美は、本件医療過誤による後遺症のため、生涯にわたり社会生活のみならず日常生活においても制約を受けることは必然であり、その精神的苦痛は極めて大きく、その他被告の注意義務違反の程度、本症発症の要因など本件訴訟にあらわれた一切の事情を斟酌すると、被告が原告春美に対して賠償すべき慰藉料は五〇〇万円が相当である。原告袈裟春夫婦については、同春美が右障害を蒙つたことにより甚大な精神的苦痛を受けたと認められるところ、本件に関する一切の事情を斟酌すると、被告が原告袈裟春夫婦に対し賠償すべき慰藉料は各二〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任し相当額の費用及び報酬の支払いを約しているものと認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額、その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告春美は被告に対し一六〇万円を、原告袈裟春夫婦は各二〇万円をそれぞれ弁護士費用として賠償を求め得ると認めるのが相当である。

六結論

以上の次第で、原告春美の本訴請求は、被告に対し、一八〇九万七一三三円及びこれに対する不法行為後である昭和五二年三月二日(退院日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、原告袈裟春及び同惠子の本訴請求は、被告に対し、各二二〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和五二年三月二日(退院日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、それぞれ理由があるから認容し、その余の原告らの請求は理由がないので棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官新城雅夫 裁判官大島哲雄 裁判官太田武聖)

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